FREEWAYの前身、軽音楽部
古くは植木等らが創始したといわれる軽音楽部。
軽音楽部創設には諸説があるようですが、NHK TVのドキュメンタリー番組でご自身がおっしゃっていたところによると生活費稼ぎの為に友人たちと「軽音楽部」を創ったのがやはり始まりらしいです。
旧軽音楽部はこれまた年代不特定ながら昭和40年代にメンバー増、ジャンル多様化、政治活動の有無などからロック・ジャズ・フォーク各分科に分割されたということです。
これが現在の軽音ロック、軽音ジャズサニー、軽音フォークフリーウェイの前身ですが、まだ当時は「軽音楽部フォーク分科会」という名でした。
FREEWAYのネーミング
1984年12月、当時の新部長さんが、フォークやってる人もほとんどいない状況でいい加減「フォーク分科会」も無いだろうと改名を言い出します。
OBへの配慮もあり、"軽音フォーク"は残して名前を付けようとの事でした。ミーティングの場で、サークルの売りである"何でもあり"をもじってFREEWAYとなったんだそう。
ちなみにもう一つの候補の名前が「PIYO PIYO」だったらしいです。7:3位でフリーウェイに決定したようです。
とにもかくにもFREEWAYの呼称はここから始まります。